6月7日 JGC横浜礼拝
この日のゲストスピーカーは、先週も来てくださった菊地幸三先生。先週は、ラフな格好でしたが、この日はビシッときめてきました。
コロサイ人への手紙2章1節からのメッセージ
「あなたがたとラオデキヤの人たちと、そのほか直接私の顔を見たことのない人たちのためにも、私がどんなに苦闘しているのか、知ってほしいと思います。」
パウロは、まだ会ったことのない人たちのために苦闘しています。一人でも多くの人がイエスさまを信じて、永遠のいのちをもってほしい。神様があなたを愛していることを信じてほしいという祈りが、ここにはあります。
日本に伝統工芸というものがあります。ある塗り箸は、何回も綺麗になるまで竹や木が削られて、漆を塗られたりして、やがて一つのアートとなる。削られるというのは痛いことです。でも、削られなければ、人の手に役に立つ道具にはならない。私たちには色んな痛みがある、失敗がある、完全じゃない、弱さがある。その中で神さまの道具とされて、神さまに用いられやすい器になることです。
「ハテナの茶碗」というのがあります。有名な方が造ったものですが、割れてしまいました。普通だったら役に立たないものは、捨ててしまいます。しかし、ある茶人が金でこれをつなげたそうです。割れたところの結合部分に金が入って、すごく綺麗な芸術品になり、二束三文で捨てられるものが、一説では千両の価値がついたという話です。
アーティストの手に握られたとき、捨てられるものが生きてきます。同じように、私たちも自分で人生を歩んで傷ついてダウンしたときに、「でも神さま、どうぞ私の人生を握ってください」と、神さまというアーティストの手に握られる時に、私たちは「ハテナの茶碗」のように、神さまの前に千両の価値をもつものとなるのです。私たちの「祈り」を通して、必ず救われる魂を用意してくれるのです。苦闘する「祈り」には、無限の可能性があることを信じていきましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿